2011/08/19 牡鹿半島ボラセン状況

↑↑ボラセン前で、八百屋やってます。↑↑
牡鹿半島ボラセンは個人運営になります。そのため、資材・施設・トイレの清掃・ゴミ捨てなど、全てボランティアが行います。
牡鹿ボラセンまで石巻市内から、車で約1時間、バスで約1時間半。悪路です。
買い物はコンビニが1つ、車で10分。テントスペース無し。大部屋で雑魚寝可能。シャワー1回200円。月・水・金は近くの無料ナイス風呂解放。生活用水は近くの市役所で利用可能。消灯時間は特になし。8時半にミーティング。作業終了時間、特になし。19時に報告ミーティング。数日滞在可能なボラ経験者は、他から派遣される団体をまとめるリーダーになる場合もあります。

2011/08/17 牡鹿半島ボラの現状

宮城石巻の東にある牡鹿半島・鮎川にいます。
牡鹿社協の管轄ですが、社協はボラセンを立ち上げてはいません。現在、代表遠藤さんと4人の個人ボランティアが中心になって鮎川での活動を指揮しています。震災後から行政・社協とは関係なく物資支援をしながら事務所をかまえ、鮎川地域周辺で活動を始めたそうです。
今は団体も少しづつ入っているそうですが、他の被災地と比べるとまだまだ支援が必要です。また、長期滞在可能な中心メンバーを募っています。ツイッター゛牡鹿半島ボランティア゛でフォロー。

2011/08/16 剣道合宿

4歳に始めた剣道。小学生の頃、母に毎週3回道場に泣きながらいやいや連れていかれてました。それでも高校を卒業するまでちんたらと続けていました。あれから12年。敬遠していた大義塾(道場名)の毎年恒例夏合宿に参加。子供達が暑い中、稽古を大声でガンバッテル姿に、自分も負けてられん!と励まされながら稽古をし、さらには子供との交流から学ぶ事もありました。(≧ε≦)
十年経った今でも、先生方・同期に声をかけてもらいうれしいかぎりでした( ̄∀ ̄)。
嫌々ながら剣道を続けれたのも、素晴らしい先生方と仲間との交流が楽しかったからなんだと、改めてご縁の大切さを知りました。
先生方・同期・皆様ありがとうございましたm(_ _)m
今後は、少しでも道場に顔を出したいと思います。

2011/08/07 陸前高田ボラ 七夕祭

今日は七夕祭が行われました。力強い太鼓ばやしが、津波の被害を受け全てが流された陸前高田に、鳴り響き続けてました。
家族・親戚・友達・知り合いなどが亡くなり、思い出が流され、自分には計り知れない深い悲しみを持った方々の、力強さと未来への希望をひしひしと感じさせてもらいました。祭で見た笑顔が来年・再来年と続くよう、まだまだ続く東北復興活動に、微力ながら精一杯お手伝いしてこうと思います。
・・・・それと同時に、無力で弱い自分を変えていかきゃと感じました。・・・しっかりしなきゃな。
よっしゃ!俺も頑張ろ!! (」゜□゜)」

2011/08/05 陸前高田ボラ・子ユンボとダンプジュニア

おおぉー!2台!! (°□°;)

子ユンボ♪

ダンプに、乗せて大きな道路まで。んでガラガラ〜っと。かなり効率的ですな。子ユンボすげー (」゜□゜)」
子ユンボの入れない場所・細かいガレキは人海戦術!重機と人のタッグは協力ですわ。
道路にたまったガレキの山は、父さんユンボと兄さんダンプに処理してもらいます。

2011/08/04 ボランティア 陸前高田 活動内容

8月現在、多くの案件は草刈り・ガレキ撤去・側溝のドロ掻きです。作業場は、田んぼ・漁港・庭など、どこもかなり広い面積になります。件数はかなり少ないですが、被災者宅の後片付け・荷物整理・カキ養殖のイカダ作り・などもあります。被害地域が広く、ボラセンから現場の車移動が30〜40分かかる場合もあります。毎日案件は用意されている状態です。

2011/08/03 ボランティア陸前高田 テント村

陸前高田のボランティア情報です。
まずは、テント村通称「住田基地」の紹介です。
陸前高田ボラセンから20キロと少し離れています。廃校を利用してます。テントは校庭に張ります。希望をすれば校内で雑魚寝もできます。
お風呂は三人浴槽シャワー付きがひとつ、シャワーの個室男女別で計4つあります。
キッチンもあり、ガス・水道・炊飯器までありまうす(゜∀゜;ノ)ノ。
ボラセンから遠いですが、かなりいい環境です。ボラセンからの道中には小さなスーパーがひとつ、コンビニ二つ、食べもんやちらほらな感じです。
かなりの山間にあるので、キャンプ好きにはたまんないですな(」゜□゜)」

2011/08/02(火) ボランティア帰り7 亘理町最後の活動

亘理町へ行ってきました。今回も床下にもぐりヘドロの除去をしてきました。
・・・・ついに、亘理町のボランティア要請のニーズが60件を下回ったそうです。この調子でボランティアが入りスムーズにゆけば、8月のお盆前には全ての案件が片付くのでは?と噂されています。
亘理町は被災地の中でも復興がかなり順調に進んでいる地域です。ボランティアへの要請がなくなるという事は大変うれしいことです。しかし被災者の方々は、住み慣れた場所に戻れたわけではありません。いま、やっと津波のガレキやヘドロが一通りだけ除去できたに過ぎません。ボランティアはもとの生活に戻るのは容易な事ですが、地元の方々はまだまだ長い道のりの一歩目に過ぎません。ここから現地の方々が、生活を取り戻していくスタート・前に進んで行くスタートになるんだとおもいます。
まだまだ・・・・ここからです。そして、まだ他の多くの地域がたくさんのボランティアを必要としているのも忘れず活動をしてゆきたいです。
そして、亘理町でお世話になったボランティアの方々、町の方々、本当にありがとうございました。
今後は遠くからになりますが、いち早い復興を祈り、きれいな一面のイチゴ畑が見れる日うを心から楽しみにしております。