2012/12/19エチオピア・メケレ “エチオピアの曲がった文化??”


※※エチオピア若者と触れ会い感じた、タダの長文です。パート2※※


海外の援助(植林・井戸・道など)を至る所で目にするエチオピア。
子供達から感じる事は、何処の村でも必ずオネダリしてくる子がいて、それは私が外国人だからなのは間違いない。表現の仕方が投石・「マネー!」「ペン!!」っと、ダイブ攻撃的だが、日本の悪ガキと大して変わらない気もする。子供はダイレクトに表現してきてるだけ。ただのイタズラの1種だと思っている。

でも、小さな頃から外国人にオネダリするのが当たり前すぎて、青年になっても外国人に対する接し方が“投石”から“言葉”に変わり“助けたからお礼をしてくれ”って中身は、子供達と変わらないタダの“オネダリ”が発展した“タカリ”にすぎない気もする。

曖昧な表現(友達とか助けたいとか)で接してきて、その後にお礼を求める文化は、日本で育った私には理解しがたい。子供と一緒。タダのタカリ。

“善意”で接していき、その後相手に何かを求めるのは“善意”ではない。“フィフティー・フィフティー”なだけ。・・・見返りを求めるのなら、しっかりとビジネスとして相手に接するべきだと思う。
これは、東京で育った私の考え。この気持ちが変わる事はないだろうなぁ。

しかし、エチオピア人同士では、裕福層が貧しい者(物乞い)に少額をサッ・・・っと、自然に渡しているのをよく目にする。・・・この国では、裕福層は貧困層を、日常の生活の中でも援助して当たり前なのかもしれない。

この国を旅する以上、文化理解に努めたいのだが、言葉の壁や私の勉強不足から、理解に苦しむ日々が多い。

今後も、エチオピア国内の子供達と怒ったり笑ったりしながら走り、青年層にも何かを求められ続けるのだろうが、これは海外援助に頼りすぎ当たり前になってしまった“曲がった文化”とだと思います。
・・・国が貧しいのが原因なのでしょうが、援助に頼りすぎず個人個人が自立した国になるためには、この様な考え方が蔓延しない方が良いんじゃないかなぁ・・・。・・・・とか言いながら、見事に騙される私もいけない。

こんな勝手な哲学を押し付けてもしょうがないので、私は一外国人旅行者として、彼らとの間には常にお金が発生するのだと思いながらエチオピア旅を続けていこ。
・・・でもそれじゃ寂しくツマらんので、理解に苦しみながらも人々にバシバシ接しいこぉ・・・
なんで人間って嫌な事の印象が強く残ってしまうかなぁ・・・。エチオピアに入ってからも沢山の方の善意をいただいてきたのに、嫌な事・面倒な事があると、良い記憶が薄れてしまう・・・。この良い記憶を忘れないようにしなきゃいけないなぁ。良いご縁も沢山あるさぁ♫。
この国でのチャリ旅はパワーが必要ですなぁ!!


ドンキー号の掃除・ダナキルツアーへの準備も済んだのので、“アシャー”君のお店に顔を出しに行ってみる。

彼は、いつもと変わらず「( ´  ` )元気??調子はどう??」っと話かけてくれた。彼はここメケレについてから、友達のように接してくれているので一緒にいると心休まる。彼の友達と他わいもない話をしながら、時間を過ごします。

シャワーを浴びようと一旦宿へ帰ると、“メルシィ“君が宿へ会いに来てくれた。彼は昨日の発言を謝ってきたが、昨日の事はコチラの理解不足も大きい。
彼に頼りすぎた部分もあるしィ・・・。彼は明日もダナキル出発まで見送ってくれると言ってくれたが、そこまで時間を使わせるのは心苦しいので断った。
昨日話した“エチオピア文化”について再度話すと、やはり助けた人に直接見返りを求めるみたいだ。でも、その見返りはその人が払える金額でよく、1ブルだろうが100ドルだろうが、値段は関係ないとの事。

特に彼は仕事として旅行者と旅行会社をつなげる“ブローカー”をしているので、旅行者に対して金銭を求めるのは当然のようだ。

・・・それを理解した上で、私はあなたにお金は払いませんっと話すと、全く気にしないっと言ってくれた。
・・・文化の違い?なのか、ただただ私か彼が厚かましいのか、よくわからんがお互いの理解が深まってよかったァ。これで気持ち良く“ダナキルツアー”へと出発できます♬。

明日から4日間のツアー。マグマ火口と奇石がある“ダナキル”。楽しみっすゥ~♬。

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