2015/08/15 Indonesia, Padang “(’-’*) 戦後70周年、変化の流れ”

東南アジアに攻め込んだ日本軍の爪痕。戦争から学んだ事を今後に活かさないと。
うむゥ~♪冷房効いてるって良く寝れるゥ~~♬。
陳腐な朝食付き。飯食って、町をウロウロ。ゴミゴミした街ですなア~~。交通ルールなんてあったもんじゃねぇ~し。汚い洗濯物を洗濯屋さんにお願いして宿に帰宅。
ネット作業してて気づいた。今日は終戦記念日ですね。ここインドネシアは17日が独立記念日みたいっす。

大東亜戦争時代、ココは戦場の真っ只中。この街「パダン」にも、日本軍の爪痕があるみたい。
近くの岬の丘に、日本軍の砲台があるそうな。近くだし見に行こ。
ドンキー号で町外れの岬へ。
人々が暮らす海岸沿いの岬の丘。ちゃっかし入場料取られたし。


テクテク歩きながら思う。
爺ちゃんの世代がここにいた頃は戦場の真っ只中だったんだな。私の爺ちゃんは満州(今の中国北東部)にいたみたい。満州がど~のこ~の言っていた。懐かしい。
ちょっと勉強。戦時中の勢力地図
戦争当事者はもう少しだけ。また同じ過ちをしないためにも、一人一人が戦争の事実を学び心に刻まないといけないよね。
日本軍が開戦を宣告して真珠湾へ奇襲攻撃と同時に、マレー半島(今のマレーシア)でも快進撃を行った。
マレー半島攻略、イギリス領シンガポールを制圧して、そのままオランダ領インドネシアを制圧。電撃作戦だったらしい。
この快進撃に自転車部隊が活躍したと。その名も「銀輪部隊」。


東南アジア諸国には日本の自転車が輸出されており容易に入手でき、自動車が通れない道も走り、川があれば担いで渡り、先陣を切って進撃し、敵軍に破壊された橋を修復し後方からくる車両を輸送を助けるなど、大活躍の部隊だったらしい。
弾丸・爆弾が飛び交う中を自転車で・・・・まじ・・・爺ちゃん世代のガッツがスゴイ・・・・っと、考えただけでも圧倒しちまうっす。

インドネシアも何か特別な日なのかと思ったが、どうやら普通の土曜日。明後日の独立記念日もそこまで重要視されてないみたい。
終戦への感覚が違うのかもしれない。
長いオランダ植民地時代から、日本占領の時代を経て、終戦後に独立を成し遂げたインドネシア。
終戦後、日本は急激に経済成長してきたが、インドネシアの経済成長はユックリユックリ。
つい数年前までは自転車がバイクよりも多かったらしいが、現在は一家に数台のバイクがありテレビにスマホと、経済が成長してきて物質的に豊かになってきたんだろうね。
でも、私が走っていて目にした風景は、農業が盛んな国で生活自体は昔から然程が変わってないようには見れた。
延々と広がる田んぼでは手作業で稲刈り脱穀をしてる人々。機械農耕具なんて見てない。エンジンで水を汲み上げてるくらいかな。手作業だ。
インフラが行き届いてないので、道路は狭くデコボコ。物の運搬には相当な時間がかかる。
年々物価が上がり、物が増え便利な生活が送れるようになってきた人々に、今の自由と未来に疑問を持つ人が少ないのかもしれない。
インフォメーションセンターで終戦について聞いてみたが全く話にならなかった。宿のお兄さんとも話にならない。英語力もそうだが、大戦・終戦・独立に重きを置いてない感じがした。
そういえば、子供達の下校は毎日お昼過ぎ。
義務教育自体が先進国なみに行き届いてないのかな。歴史よりも、今の生活に必要な英語を学んでいるのだろう。
インドネシアは便利便利で物は豊かになっているが、何か無法な感じもする。
交通ルールはホボ無法。信号あっても守る人いないし、逆走当たり前、タマに幼少児もバイク運転してるし。事故もチョイチョイ。
盗人が多いと地元民はいうが何処も平和な田舎の村ばかり。警察いらねって位平和。
バイクは全て日本製。ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ・・・。きっと、インドネシアでの売り上げはスゴイはず。しかし、こんな無法な状態になったのも、バイクを安価に購入できて、道路のインフラに見合わないほどに普及してからかも。バイクを普及するだけでなく、ルールも一緒に普及させないとね。
ゴミは散乱している。
ゴミの教育を受けていないのか、ゴミ処理問題は後回しになっているのだろう。
ゴミは途上国何処にでもある問題。プラスチックが出てくる以前は、木の葉っぱを器にして、使ったらそのまま自然にポイ捨て。葉っぱだしそれで良かったのかな。プラスチックが出てきてもその習性は変わらず、使ったらポイ。何処でもポイ。海にも川にも山でもポイポイ。何処もプラスチックのゴミの山。
途上国はゴミ処理のインフラ・教育が行き届くまえに、安価で便利・軽くて頑丈なプラスチックが普及してしまい、ゴミをポイ捨てする事でどういう事になるのかを理解してない。
ポイ捨て当たり前。だってゴミ箱ないし。ゴミ箱があっても、後でゴミを道の脇に捨てるだけで意味なし。何処そこ構わず燃やしてもいるが、スゴイ異臭に煙が立ち込める。完璧に燃やされないゴミは残り、その上にまたゴミが増える。道路脇はゴミゴミゴミでゴミの山。
途上国はゴミを重要視してない。大企業は全くゴミ処理の事なんて考えてない。個人はゴミを其の辺に捨てるか燃やすしかない。
今を生きる人達は、このゴミ山がない頃はどれだけ美しい山・川だったのかを誰も考えない。途上国でゴミ問題を考える人がいないのだろう。
ゴミの山が当たり前で川が綺麗だった時代なんて知らないだろうし。ゴミがあって当たり前になってる。
何処のお国もゴミ問題よりも経済成長を優先させてるのかも。それぞれのお国の話であるが、どうも人ごとでない感じがする。なにせ、この消費社会を作り上げたのが先進国だし。

新しい物を作り続け、ドンドンと物が増えていく。増えた分だけゴミも増えている。
過剰に物を作りつづけるために、過剰に必要なエネルギーを生み出さないといけない。
山・大地を削って石炭を手に入れ、地中から石油を掘り出し、ガスを吸い上げ、ドンドン地球の資源が減っている。まだあるはずだと、途上国に目を付け新たな土地を見つけ、また山を削る・・・・。
その必要はないと原発を使う。しかし、この原子力は人間にコントロール出来る代物ではないと、昨今の歴史から先進国の人々は学んでいるはずだが、経済成長が優先させられる消費社会にエネルギーは欠かせない。安く大量にエネルギーを生産できる原発を使って、ドンドン工場を回さないと。物を作らないと経済が成長してかない。ドンドンガンガン。もっともっと作って売る。
途上国は先進国の消費社会に追いつこうと真似をしている。もっと物を作って豊かになろうとしてる。
物が豊かになって皆が同じ物を持てるようになり生活が便利になった。もっと便利にと、アレコレ物が増えてきた。
安価に出回る物を購入して壊れたらまた新しい物を買えばいい。企業も新しい物を買ってもらわないと売上が伸びない。なので、ドンドン新しい物が増える。先進国で古くなった物は途上国に更に安価に回され、行き場を失った物が途上国のゴミとなる。途上国にゴミが更に増える。

この物質的に豊かな消費社会が幸せの形だと勘違いしたまま世界が突き進んでいけば、世の行く末には綺麗な自然は無くなるだろ。
今、世界中の問題になってる、大気汚染、異常な自然災害、地球温暖化、そして目に見えるゴミの山は、そんな消費社会が生み出したんじゃないか?。
北京のヒドぃ大気汚染が例。大気汚染に工場の排水で川は死に絶える。人間の住む場所でなくなる。
そろそろ先進国が気づいて、自然を共存していく社会を作り上げないといけない。もう先進国の指導者達は、このままだと未来がどうなるか分かってるのだから。
中国を始め、環境問題に無関心の国々に手本を見せないと。中国の現在の経済発展は間違っているのだと知らしめないと。
私たちは何処で生きているのか。地球の上で生きているのだから、自然環境を抜きにして生きていくのは不可能だ。
山に木々がなくなればどうなるのか。川に水が流れなくなればどうなるのか。生きるのに一番必要な物はどこから生まれているのか。
今の当たり前の生活からは想像しづらいが、破壊された自然環境を思うと身が震えてくる。
このまま自然環境を無視して生き続ければ、身近にある当たり前の自然が、何時の日か当たり前でなくなる。美味しいお米が食べられなくなる日もやってくるだろ。
現実に日本では、福島原発で豊かな海・山・田んぼが一瞬で汚染され人も住めなくなった。
何時になったらその土地の作物が食べられるようになるのか。汚染・破壊されてから後悔しても、再生までの長く苦しい月日を耐え忍ばないといけない。
そして、ゴミ・大気汚染・地球温暖化は、ジワジワと各地を人々の住めない世界へと変えていく。

この変化を日本人は国内だけでも痛烈に感じているはず。原爆・原発から。
個人個人が身の回りの自然と環境を思い考えて動き出さないと何も変わっていかない。個人が何も考えずにいる内は日本は変わらない。このままで良い理由がないのだから、一人ひとりが出来る事から取り組んでいかないと。
自分の回りにあるものは果たしてホントに全て必要な物なのだろうか?。何時の間にか自分で整理整頓が出来ないくらいの物で溢れていないか?。必要な物と不必要な物を考えて物を購入しているのか?。
一人一人が無駄な浪費を防げば、企業も余計な物を作らなくなる。
使い捨ての消費社会から、修復・リサイクル出来る社会に変えていかないと。
リサイクルとは違うが、途上国では裁縫屋が何処にでもあり、古い車・バイク・自転車・電化製品を修理して壊れるまで、動かなくなるまで使っている。物が高いという価値観から、修理・修復が当たり前なのだろうが、「物を大事にする」という、今の先進国の人々が習う部分はある。

これまで経済発展のために各国が競うように物作りに励んだ消費社会は、人々を幸せにしたのか、してるのか。
汚れていく地球、気のない山、汚れた川・空気、こんな世の中が幸せな暮らしになるのだろうか。
第二次世界大戦後の経済成長・消費社会の時代から抜け出さないと。
大戦後から、人々は地球から沢山の資源・恵みをもらってきた。今度は地球へ恩返ししていこう。
人の住む場所は宇宙でも空でも海中でもない。逃げ場なんて小さな陸上以外にない。
綺麗な地球の陸上が人間の住む場所だ。

随分と終戦から脱線した。今の日本の問題は安保法案。
今の日本のままで良いことはない。隣国の中国は現在、チベット・シンジャン自治区で力による行使をしている。この事実は見据えておかないと。今の中国政府は力で他を弾圧する。この体制が何時までも続きはしないだろうが、今の日本が中国と戦争になったら日本は占領されてしまうかもしれない。
安保法案が通れば、連合国は引き続き武力的に強い味方でいてくれる。これで中国に圧力をかけられる。
問題なのは、集団自衛権を行使して日本が他国の戦争に加担する事になるんじゃないか否か。
戦争の後方支援といえど、弾薬供給を協力すれば、もう参戦してると同じ。喧嘩の当本人に武器を与えていたら、それはもう相手にしてみれば供給元も同じ敵。
昨今の安保法案問題は、個人個人が時代の変化に危機感が生まれてきた。
政治に目を向け、皆が日本の未来に関心をもってきた。
このまま政治に任せていては、政府が暴走するのではと危機感も生まれてきた。
この問題をきっかけに、個人個人が責任を持って発言するようになれば、強い日本になる。
個人個人の日本人アイデンティティが希薄になってる今、日本の文化・風習を学び、日本人としての自覚を呼び起こす時でもあるかも。決して大東亜戦争時代の軍事政権ではなく、2700年続く日本文化の根源を見つめなおす時間かもしれない。
八百万の神が住む自然を尊重しながら、自然と共存していた時代から学ぶ事があるはず。
大戦後、欧米諸国の流れに任せっきりだった日本も、精神的に独立しないと。
自己改革が日本人の個人個人に求められてるのかな。
責任のある反対と賛成意見で、この問題は良い方向へ流れていくのだと思う。
どっちに転んでも、民主主義の日本人が選択した結果になる。
全ての結果を受け止める覚悟で大いに意見したいね。個人個人が強くならないと。


っと、インドネシアで戦争と今後の世を思うのです。だって日本人だもの。

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