地曵さん・相葉さんと現地の社員さん。「バース」は林から森へと大きくなってるのかな。 |
お世話になってるWatermarkホテルでは、用をチャチャっと済まし3~4日滞在して出発するつもりだったけど・・・・ビザ受け取りの火曜・・・明けの水曜まで、計9日滞在する事になったな・・・どうすっか・・・ってか、ココにいても・・・いいのかな・・・。
地曵さんに相談すると、「ゆっくりしてって下さい♬」って♬。同時に「イマドキ」元締めの林社長に「お世話になりたいです!」っとメールすると・・・・「楽しんで!」っっとっとっと・・・。
「西麻布イマドキ」は「株式会社・バース」が林社長が元締めです。
私は今から・・・9年前かな・・・「バース」が初めに手掛けた用賀のお惣菜屋さんで働かせてもらった・・・。
あの当時の私は、自我が強く、「何でも出来ない事は無い」と生意気に思い込んでいた。
林社長は、経験の少ない私を店長にしてくれた。
それに応えよう・俺なら出来ると一人で試行錯誤してみたが、自分の力量も知らない青二才は人に物事を頼む素直な心を持ち合わせず、上手くいかない時は心の何処かで他の人のせいにしていた。
助けてくれる社員が近くにいるのに、自分の力量を認め、出来ない事を頼む事・相談する事ができず、「俺には出来る・・何でも出来る・・・」っと、自分をドンドン追い詰めていた。
そして、自分の限界を越えた・・・ってのは、言い方が良すぎる受けとめ方で・・・。
ある日のいつもと変わらぬ出勤日に「出来ない。」と、急に諦め感に心を埋め尽くされそのまま出勤せずに逃げてしまった。
店長の私がお店を開けないといけないのに、バイトの子も待ってるのに、何よりもお客さんが待っているのに・・・・逃げた。全て考えられなく「私には出来ない」っと、逃げた。
その後スったもんだがあり、後悔の念に押しつぶされそうになり危なかったので、自分が半歩でも進むためには、まずは謝まらないと・・・っと、林社長の所へ謝りに行った。
そしたら、何も言わずに「ここじゃもう働けないな・・・西麻布のイマドキでバイトしな。」って、私の過ちを問いただす所か、まだ見捨てずに雇ってくれた・・・・。
許してくれた事がとても嬉しく、そのまま西麻布イマドキで働き始めた・・・っけど・・・。
・・・何がいけなかったのか答えが欲しかったが自分では答えは見いだせずに・・・後悔の念が消えず、自分の無力さが心の中でドンドン膨らみ無力感に包まれていた・・・何故か毎日涙が出てた・・・あまりにも自分が弱く、小さく、どれだけ驕っていたのか・・・そんな事ばかりで心は埋め尽くされ、前向きな事・希望もない中で西麻布イマドキで淡々と働いていた・・・。
そして1ヶ月程経ち、何もしたくなくなった。
更にまた同じ事をしてしまった・・・。今度は「何もしたくない」っと、それだけに心が埋め尽くされ、そのまま出勤せず逃げた。
もう謝りにも行けなかった。何も考えたくなかったので、生きる事から逃げようかと思ったけど、母ちゃんがいてくれたので「死ぬ」という選択肢はなかった。死ぬ程の勇気もないし。
スったもんだで、葛藤する日々が続き、次に動き出すためにアイルランドで自活するために動き出した。
出発直前で、容体の思わしくなかった爺ちゃんが死んだ。
お葬式に林社長も来てくれた。母と林家は剣道の繋がりで交流が深く親族のような関係だ。
その時には闇から抜け出して、次の「アイルランドで自活する」という希望を見出していたので、謝らないとと頭を下げに行った。他に出来る事はなかったので謝った。「もう、いいよ。」って一言くれた。その一言で後悔の念からが薄らいでった。
感謝の心も出てきて、「沢山勉強させてもらった。ありがとうございました。」っと、思えるようになってきた。
母が林家と交流してるのが大きかったと思う。もし家族の交流がなかったら会う事はなかったかも。
でも、其のおかげで自分の深い後悔の念から開放された。
そこからスったもんだで3年後。
時は経っても私は自分勝手に成長して、自転車世界一周すると決め、出発前に「バース」が「カレーラーメン・周一」をオープンして人手が足りずに忙しぃと・・・母から聞いた。
なので、こちらから「出発まで短期館ですが、小銭稼ぎさせて下さい!。」っとお願いしにいった。
何故か林社長の下でもう一度働いてみたかった。
・・・多分、小銭稼ぎよりも、自分の後悔の念が消えてるのか試してみたかった。
自転車世界一周へ旅立つ前までに、残る蟠りは消したかった。残っているのかどうかも不確かだった。
林社長は「働けぇぇ!」っと、笑顔で受け入れてくれた。
短期だけどラーメン屋で働かせてもらい、そのまま出発した。
後悔は消えはしないが感謝の念がそれを上回るようになってた。
林社長だけでなく、その当時、散々迷惑をかけた同僚にバイトの子、皆に感謝できるようになっていた。
私に過剰な「驕り」は消え、人にお願い事が出来る素直さが生まれ、ご縁のありがたさを学び、「何でも出来ない事はない・・・・・が、出来る事は一つだけ、二つは出来ない、一人ではできない、何をするにも人の助けは必要だ」と、以前の独り善がりの考え方からが少しづつ変わってきた。
林社長に面と向かって「何時もありがとうございす!。」っと、笑顔でお礼を言えるようになった。
そんなお世話になった会社に林社長。
今も気にかけてもらい、「バリ島に行くなら声かけてくれ。」っと、連絡を頂き、今も世話になってしまってる私。ちなみに、「イマドキ」バリ現地社長の地曵さんは、出発前のラーメン屋のバイト仲間。
なんだろ・・・・この旅では新しいご縁に恵まれ沢山助けられているけど・・・・それだけでなく、私が生まれてからの全てのご縁に支えられている気がする。
今の私あるのは、生まれていろんな人に出会いながら、遊んで、考え、覚えて、反抗して、逃げて、喧嘩して、泣いて、失敗して、学んで、嘘ついて、盗んで、逃げて、うまくいって、調子に乗って、また失敗して、怒られて、反省して、がんばって、褒められて、疑って、また失敗して、逃げて、もっとがんばって、奮闘して、突っ走って、挫折して、許され、迷って、葛藤して、素直になって、歩き出して、遠回りして、知って、前を見て、後ろもたまに見て、転んで、起き上がって、見つけて、逃げないで、信じて、騙されて、もうちょい信じて、与えられ、返して、もらって、恵まれて・・・・。
生きてきた流れに必ず人がいる。出会う人々が入れ代わり立ち代わり私を育てあげた。
真っ直ぐ育たなかったけどクネクネ曲がって天に伸びる異様な木みたいに、いい感じに、育ってる気がする。
私には枝がなかった。
緑豊かな温もりのある林の中で生まれたのに、林から抜けだすように伸びだした。
緑豊かな温もりのある林の中で生まれたのに、林から抜けだすように伸びだした。
周りの木々は枝を伸ばしてくれ、私に木陰を作ってくれたり、葉っぱから流れ落として水を与えてくれたり、枯葉を落として養分を与えてくれているのに、私は枝を伸ばさず幹ばかり伸ばしていた。林から抜け出して見えない世界を見てやろうとしてたのかも。
でも、周りの木々が多すぎたせいか太陽も見づらかった。
天へと真っ直ぐ伸びず、曲がりくねりながら幹ばかりが伸びてた。
天へと少しづつ近づいてきながら、周りの木々・大地・自然の恵から沢山の栄養をもらっている内に、私の枝も少しづつ伸びだした。
周りの木々と交わりだし、同じ大地で生きている事に気づきだした。
周りの木々と交わりだし、同じ大地で生きている事に気づきだした。
お互い支えあって大地を守ってる事、荒野で一本よりも大きな林・森の方が共に豊かに過ごせる事。
「私は生かされてる」ってのは、こういう事なのかな。「今まで」に「これから」もそうだろ。死ぬまでだろな。
そんな中での一つののご縁、近くで枝を横に大きく広げてる太い木、私を成長させてくれた林社長。
このご恩を返さないと・・・・・とか思うけど、一人に返すのだけでなく、ご縁のある人たち、私も周りの木々に枝を伸ばして、全てのご縁に返していけるように育たないとな。
・・・・っとか、鼻くそホジッてる、世話になってばかりの奴が、生意気にも立派な事考えてるじゃねぇ~かよ。
まぁ、急に枝は育たないので・・・今は・・・・尚も変わらずシッカリとお世話になりまっす!・・・もうちょいリゾートで♬。ありがとうございます!社長!!。
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